三之丸天王祭〜新屋敷 神功皇后(じんぐうこうごう)車

昭和10年頃の神功皇后車 山田鉦七氏撮影

文政元年作(1818)
広井村の見舞車九輛の内の一つで文政元年に新屋敷で造られる。(旧大幕の裏地に文政元年の銘がある)
明治20年(1887)7月に筒井町建中寺前に売却する。

●人形

神功皇后が三韓征伐におもむかれる時、海上に龍神があらわれて金の玉を海に投げたら波が静まったとの伝説によるものである。
四本柱の中には、神功皇后、竹内宿弥、巫女の三体の人形が飾られ、前棚には唐子の麾振りが乗る。
人形の所作は、下り葉の曲に合わせ巫女が舞い、楽の曲に合わせ竹内宿弥が海をうかがう、囃子に合わせて再び一舞した後、一瞬の内に胸から面をかぶり龍神と化し、激しく動く。この時、曲は面かぶりに変わる。

<製作年代>
神功皇后----- 天保13年(1842)竹田源吉作
竹内宿弥----- 天保13年(1842)竹田源吉作 
巫  女----- 安政4年(1857)美濃三作
麾 振り-----安政4年(1857)作者不明

●大幕

文政元年(1818)大幕出来る(初発の幕は猩々緋の無地幕と思われる)
筒井町購入後、明治34年(1901)空木建ちを大きく新調した際、前幕を新調し横幕は不足分を縫い合わせて使用した(その後、昭和28年に青色地に波に千鳥に替る)

●水引幕

紫色の地に十二支の刺繍の縫であった。この水引幕の下絵は江戸時代後期郷土の画家、森高雅、山本梅逸、渡辺清の共作で工芸技術の枠を集めたものとして珍重されている。
筒井町購入後、明治34年(1901)に旧幕の十二支を切取り白羅紗に縫い付けた幕に替える。

●改修

筒井町購入後、明治34年(1901)に空木建ちを新調し大きくした。その為高欄が張り出さず、その後、昭和28年に高欄を新造し朱塗りに替える。

●囃子

道行囃子----「車切」「狂言神楽」「神楽」「早神楽」「帰囃子」
人形囃子----「下り葉」「楽」「囃子」「面かぶり」の四曲の構成