町続きの祭礼
東照宮祭、若宮祭、三之丸天王祭、熱田大山祭以外にも名古屋城下周辺の村々(町続き)では多くの山車が造られた。
ここでは便宜上「町続きの祭礼」と分類し紹介する。
広井八幡祭(現中区)、州崎天王祭(現中区)、新道天王祭(現西区)
広井天王祭(現中村区)、出来町天王祭(現東区)、筒井町天王祭(現東区)
志水八王子祭(現北区)、大曽根祭(現東区)、金比羅神社祭(現東区)
松山神社祭礼(現東区)、富士浅間社祭(現西区)、富士権現祭(現東区)
武塔天神祭(現東区)、富士浅間社祭(現中区)、東田町天王祭(現中区)
押切村榎町白山神社祭礼(現西区)、押切村天王祭(現西区)
町続きとは
名古屋城は慶長15年に着工され、さらに城の南面に新たな城下町の建設が始まった。
これ以後、清須より名古屋に武家屋敷・寺社・町人が町ごと移転することになった。これが世にいう清須越である。
翌慶長16年には堀川開削が始まり、町割が行われ武家地・寺社地・町人町に分けられた。
町人町は久屋町筋以西、堀川以東、京町筋以南、広小路以北に集中しこれらを碁盤割の町、上町と呼んだ。
名古屋府城志では、北西は樽屋町、南は橘町、北東は坂上町の外に設けられた大木戸の内を城下と称したという。
また尾張志によれば、「東の方は古井村・杉村・大曽根村に亘り、南は前津小林村・広井村・日置村・古渡村に続き、西は中野高畠村・押切村・栄村・枇杷島村に至り、北ハ田幡村・西志賀村・児玉村をかぎり」という範囲を名古屋と呼んでいる。
これら町中は町奉行のの管轄下にあったが、市域の発達に伴い犯罪人の逮捕など治安維持のため、享保13年名古屋村・広井村・押切村など城下に近接する町並を城下町続きに指定し、町奉行の管轄に組み入れた。
参考:角川日本地名大辞典