花車神明社祭〜下花車町「二福神車」(にふくじんしゃ)

三之丸天王祭の見舞車として天保7年(1836)に旧広井村下花車町で建造された山車です.

山車の建造に関する資料は残されていませんが、現二福神車の先代の山車が静岡県の宮口(浜松市浜北区)に現存しています.
この三階屋台と呼ばれている先代二福神車は文政4年(1821)に建造され、掛塚(磐田市)を経て二俣(浜松市)から更に宮口に譲られました.
この先代二福神車は昨年(平成21年)に170年振りに里帰りして話題となりました.

山車名の由来にもなっているからくり人形は、恵比寿と大黒の二福神で、恵比寿が鯛を釣って喜び、大黒が打ち出の小槌で宝袋を打つと宝船が飛び出す仕掛けです.恵比寿・大黒のユーモラスな所作が楽しいからくりです.
今は無き東照宮祭の上長者町「二福神車」と同様のからくりだと言われます.

大幕は平成19年に復元新調された猩々緋で正面「下花車」の黒糸刺繍は柳沢吾一の書です.
水引幕は「金波怒濤の刺繍」で森高雅下絵といわれます.また夜用の幕は黒地に「波に千鳥」の刺繍です.
明治10年、昭和11年、昭和27年.昭和34年、昭和36年.昭和48年と山車本体やからくり人形、山車幕など随時修理・新調されており、町内の人々が手塩にかけて維持保存されてきたことがわかります.
最近では平成11年に水引幕を復元新調、平成19年には赤幕を新調しました.
高欄部支輪の千鳥の素木彫刻は森高雅の下絵といわれ、高欄の金具は明治10年頃に若宮祭祭車の寿老人車(中須賀町)が修理した際譲り受けたもの.

花車神明社祭の詳細

二福神車の詳細

若宮八幡社に奉納する二福神車
本町通を曳行する二福神車
東照宮に奉納する二福神車