東照宮祭〜上長者町 二福神(にふくじん)車

二福神車 東照宮御神事行化粧之図(明治21年塚本康満作)

慶安3年(1650)以前鐘巻道成寺車を造る−明暦2年(1656)説もある。
※山伏の人形の前に鐘を据へそれへ女の頭の大蛇が出て鐘を巻く動作をする時、銅羅と太鼓でグワングワンドンドン囃子たてるという騒動な趣向であった。然るに貞松院殿(藩祖義直の継室)が此車が大嫌いで有った為、其後龍頭に仕替えたとの咄しがある。
享保17年(1732)二福神車に替る。 

●人形

京都の人形師吉田平次郎の作。(竹田近江との合作の説もある)
宝暦時代の古図を見ると大黒の後ろに米俵が二俵積んであって麾振りの左右に菊の花を挿している。
蛭子が魚を釣り上げると、大黒が打出の小槌で袋を叩く、その袋が二つに割れて宝船が出て、二福神が喜んで戯れる。
魚は昔、鯛斗りであったのを中興鰈、鰹、蛸、海老、ふぐ等色々になり、之は皆裂細工で作り、宮戸松斎が彩色を施した物。

●大幕

元治元年(1864)猩々緋の無地幕に替る。「上長者町」の文字は山川墨湖の筆である。
初発は紺地金襴を用いる。寛政11年(1799)猩々緋に遠州緞子の模様で碁盤割りの中に宝盡しを金糸で縫う織物に替える。
天保元年(1830)に幕を裏返して、森高雅の下絵にて大形の宝盡しの金糸縫と改修した。

●水引幕

元治元年(1864)渡辺清筆の下絵で縹色羅紗の有職波の丸の金糸縫に替える。
初発は赤地に立波の金襴を用いる。

●改修

明和6年(1769)天井、高欄を仕替する
文化2年(1805)輪を新調する(大きくなる)
天保元年(1830)天井、高欄を仕替する
元治元年(1864)車輛を改造し、同時に浪の彫物、人形臺を新調する。この下絵は森高雅の下絵の筆といわれる。

●囃子

道行に限り草笛で浪の音という囃子を用いる。その他は能管で出端、神楽、早笛がある。