東照宮祭〜伝馬町 林和靖(りんなせい)車

「林和靖車」 名古屋祭(伊勢門水)より

慶安3年(1650)宮町、駿河町、富沢町との立合にて田植の練り物を出す。
元禄4年(1691)梵天王車を造る。
※梵天王の前に一人の天女を置き大将が唐団扇を持って招くと屋體の先へカリョウビンガが顯れて舞をするからくり。
享保18年(1733)林和靖車に替る。
◇町代一人◇大鳥毛三本◇楫取八人◇綱曳二十五人

●人形

京都細工人山本飛騨大掾の作。
林和靖と唐子一人を据、前に丹頂の鶴が一羽、芹を喰い羽を延ばして動くからくり。
麾振りは素袍著であったが寛政9年(1797)に唐子に替る。
文化8年(1811)麾振り唐子を新調。
文政11年(1828)鶴と籠を新調した。

●大幕

明治26年(1893)に青龍、白虎、玄武、朱雀の四神の図の縫い潰しに、猩々緋の額縁を取り夫れに金糸で桐唐草を縫いちらしたものに替えた。(京都の岸竹堂の下書といわれる)
梵天王車の頃は紺地の今織であった。
林和靖車新造の際に猩々緋に替り、裾には金糸で東西南北の古文字が縫われた。
文政11年(1828)丹羽盤桓子の書の縫いに改められた。その後猩々緋無地幕に替る。

●水引幕

初発は蜀江錦であった。
明治年代(1868-1912) に初発の幕を新調したが、色合が面白くないとして古幕修復して使用した。

●改修

寛政9年(1797)高欄を仕替、麾振り棚の左右に有った梅の造花を廃して、林和靖の後に梅の大樹を植えた。高欄、柱廻りの金具一式は他町に見ない處の善美を盡したもの。
文政11年(1828)唐木建ちを新調し大振りになる。出高欄になり梅の模様が出来る。枝は赤銅、花は金メッキを使用した。
明治16年(1883)祇園会の式に做い高欄四方に金幣を挿す。御城下で最初に建造されたからくり人形山車で先車を務める。