三之丸天王祭〜車之町 和布苅(めかり)車
須佐之男神社神輿渡御之図写の一部
那古野神社蔵
文化年間(1804-1818)以前の作 ------ 昭和20年戦災にて焼失。
十代藩主斎朝公より胡蝶車を拝領する。(此の車は巾が四尺、高さが九尺位の小車であった)
祭礼時、広井村の見舞車と衝突破損の為、山車を大きくする。(拝領御車という高張提灯を掲げた)
明治10年(18977)頃若宮祭に供奉する。門前町陵王車の後について引渡したが5〜6年の参加で終る。
明治12年(1879)和布刈車に替る。
明治25年(1892)新式の祭礼に参加する。
●人形
能の「和布刈」より取材したもの。
●大幕
明治12年(1879)猩々緋の無地幕で前幕に「御車元」の文字を黒糸刺繍する。
●水引幕
蜀江錦