三之丸天王祭〜益屋町 靭猿(うつぼ)車
文化年間(1804-1818)以前の作。
最初は司馬温公車を造る。
文政元年(1818)大きく造り直す。
嘉永元年(1848)靭猿の人形に替る。
明治30年(1897)美濃上有知の常盤町が購入する。
※常盤町の記録には名古屋富津町(富澤町か)四丁目総代堀田喜兵エより購入とあり、益屋町が山車を売却した事実が解る。
●人形
からくり人形は殿様(大将)、猿回し、猿(童子)、太郎冠者(前人形)の四体で、狂言の「靭猿」から採ったものである。
右手に金幣を持った童子が、後を向いたかと思うと猿に変身(面かぶり)する。
<制作年代>
殿様(大将)--- 嘉永元年(1848)
隅田仁兵衛真守の作。
猿回し --- 嘉永元年(1848)
隅田仁兵衛真守の作。
猿 (童子)--- 嘉永元年(1848)
隅田仁兵衛真守の作
太郎冠者 --- 嘉永元年(1848)
隅田仁兵衛真守の作
●大幕
猩々緋の無地幕である。
●水引幕
白羅紗地に蝙蝠が刺繍されている。(下絵は喜田華堂によるものと思われる)