三之丸天王祭〜郷 散手(さんじゅ)車

明治12年頃の散手車 岩田高典氏蔵

文政11年(1828)以前 の作。 昭和20年戦災にて焼失。
名古屋村の見舞車五輛の内の一つで、郷で造られる。
明治27年頃千歳町に譲渡した可能性がある。

◆人形
雅楽の「散手」より取材したもので、雅楽の荘厳な衣装を着て鳥兜をかぶった人形がはじめは荘重な舞をするが、途中後を向いた途端に雅楽の面をつけ手に矛を持ってテンポの早くなった勇壮な曲に合わせて派手に踊る。
大将人形に新羅三郎を据へる、人形の製作は京都の王水。

◆大幕
文政11年(1828)新調する。
猩々緋に門前町の陵王車の如く金糸で簾の縫を施し、見送幕には柳沢吾市の書で「共歡天意同人意 万歳千秋奉聖君」と刺繍されている。

◆水引幕
天保13年(1842)渡辺清の下絵で白羅紗に山鳥の縫いちらしの幕を新調する。