若宮祭〜下玉屋町 布袋車(ほてい)

山田鉦七著「郷土の山車写真集」より

初発、侍四人して神輿に供奉する。
延宝2年(1674)風車を造る。
延宝3年(1675)布袋車に替る。
明治24年(1891)有松町東町に売却する。

●人形

竹田某の作で布袋和尚の袋の中より二人の唐子が飛び出し、一人の唐子が玉を持って戯れ居るのを今一人がこの玉を呉れいという意味で手を出すと「赤ベー」をするおかしいからくりであった。
明和5年(1768)に唐子の文字書きと改正した。
それは一人の唐子が台の上に立ち幟の様な紙に筆を持って文字を書く。その文字が一體でなく其家々の囃子につれて色々な文字を書く。兎に角人形に文字を書かせるという仕掛は面白い趣向である。
天明8年(1788)麾振り人形童子に替る。
文化9年(1812)大将人形の頭の塗り替えが行なわれる。
文政7年(1824)大将人形の頭以外の部分が古渡の玉屋増蔵によって大改造される。

●大幕

最初紺地の亀甲の地絞に雨龍の古金襴で裾に玉つなぎの模様が縫ってあった。
文化9年(1812)に猩々緋に龍亀麟鳳の金糸縫で見送には詩文を顯はした立派な幕に替る。書は柳沢吾一の筆であり、下絵は山本梅筆の図といわれる。

●水引幕

最初紺地に鳳凰が描かれていた。
白羅紗に雲鶴の縫いちらしの幕に替る。下絵は張月樵の筆といわれ三面にそれぞれ三羽ずつ鶴が雲の間を飛ぶ様が描かれている。

●改修

寛政6年(1794)に高欄下の宝尽しの彫刻が出来る。高欄、前棚の彫刻も同時期の作と考えられる。
文化9年(1812)に一階正面の手すりに製作年と思われる銘があり、山車本体の大改造をしたことと思われる。
文政7年(1824)合天井を新造する(天井裏に銘がある) 
文政7年(1824)高欄を紫壇に替える。
寛政6年から文政7年迄の30年間に山車全体を大改造した。