尾張名古屋が誇る伝統の山車とからくり
 開府四百年を祝い山車十三輛が曳き揃い
  百年前の感動が今ふたたび蘇る
若宮八幡社に集う9輛の山車.
本町通を祭り一色に染め上げた13輛の山車.
東照宮で、そして那古野神社でからくり奉納と八重廻し.
提灯を揺らしながらの名古屋城と千秋楽.
2010年10月16日、秋晴れの名古屋の街に繰り広げられた絵巻物.
大勢の人々に夢と感動を与えてくれた「大山車まつり」は無事終了しました.

「大山車まつり」特設サイトをご覧いただきありがとうございました.
次回西暦2110年の開府500年祭「大山車まつり」で再びお会いしましょう.

使命を終えた当サイトも閉鎖の予定でしたが、この歴史的な山車揃を記録に残す事も大事.しばらく公開を続けさせていただます.
(nova)
本町通を北上する福禄寿車・湯取車・鹿子神車・・・他

名古屋開府400年祭『大山車まつり』

名古屋曳絆会

明治43年(1910)4月12日。「名古屋開府300年紀年祭」行事の一つとして、市中の「山車奉曳(だしほうえい)」が行われました。

東照宮祭の山車九輛を中心に十八輛もの車楽(だんじり)や山車が参加したことは前代未聞のことであり、その奉曳当日の荘厳さたるや、現在にまで語り継がれているほどです。
尾張名古屋では後にも先にもこれ以上の山車奉曳行事は行われておりません。
100年前に行われたこの名古屋開府300年祭こそが、今回の名古屋開府400年祭「大山車(だいだし)まつり」の礎となっています。

残念な事に先の太平洋戦争によって、東照宮をはじめ名古屋中心部にあった山車の大半は焼失しましたが、昭和30年から始まった「名古屋まつり」には東・中・中村の各区から九輛の山車が参加し、市の行事に華を添えております。

平成20年3月、名古屋市指定文化財山車連絡協議会が音頭をとり、「名古屋まつり」に参加する保存会・奉賛会の若手による情報交換会『名古屋曳絆会』(なごやひきずなかい)が発足し、先の開府300年祭に倣い、来るべき開府400年祭の「山車奉曳」実現に向け、実施内容について検討に入りました。
ここで特に申し上げたい事は、名古屋開府400年祭「大山車まつり」は、行政主導ではなく、名古屋曳絆会のメンバーが中心となって議論を重ねて作り上げた、現場主導の奉曳計画であるという事です。
名古屋曳絆会は、「本式の山車祭り」、とりわけ今は無き東照宮祭の山車曳行に念頭をおき、実施計画を進めてきました。

名古屋の山車祭りは、山車の形・お囃子・曳廻しや方向転換の方法・参加する人々の衣装等々、全てこの東照宮祭に倣って歴史を重ねてきているのです。
それを踏まえて出来上がった計画の概要は、名古屋の総鎮守である若宮八幡社へ集合し参拝、その後名古屋本来のメインストリートである本町通を曳行(北進)し、 東照宮へ参拝。夕刻には丸の内2丁目付近で提灯点灯をして那古野神社へ参拝。最後に名古屋城正門前で勢揃いし、千秋楽手締めを行うというものです。

この計画案は、九輛の各団体より承認され、名古屋市指定文化財山車連絡協議会総会で九輛以外の団体へ告知され、緑区有松から布袋車・唐子車・神功皇后車、鳴海から相原町唐子車、計四輛からの賛同を得ました。 従って、名古屋開府400年祭「大山車まつり」には合計十三輛が参加することとなり、日程も「名古屋まつり山車揃え」の前日となる10月16日(土)に決定しました。

名古屋の山車文化は幾多の時代を乗り越え先人たちによって伝えられてきました。この名古屋開府400年祭「大山車(だいだし)まつり」を大成功させ、次代を担う人々に繋げる事がこの「大山車(だいだし)まつり」を行う最大の目的であります。