この日記も前回(第37回)を書き終わったのが平成28年(2016)だから、もう4年もサボっていたことになる。
「名古屋開府400年大山車まつり」が開催されたのが平成22年(2010)のことだから、気が付けば既に10年が過ぎていた。
令和2年は未曾有のコロナ禍で、すべての山車祭りが中止となり出かけることなく、それらに付随するウェブサイトの更新もできなかった。
時間は十分にあるのだから、今思えば一気にこの日記も進めたらよかったのだが、時既に遅しだ。
10年も経てば当時小学生だったガキ(失礼!お子様)も立派な社会人になっているだろうし、大人でも大山車まつりをご存じない人もいるだろう。
この日記の概略や経緯は第1回に書いたが、それ以来気が向いたときにボチボチと書き連ねてきた。
そう、ボチボチである。別に急がなくてもいい。
暇を見つけて書けばよい・・・
いや、そんな了見だから遅々として進まないのかもしれないが。
さて次の開府500年祭大山車まつりまであと90年!
この日記もう忘れられているだろう、誰にも期待されていないし誰にも読まれなていなかったかもしれない。
そもそも、この日記は『尾張の山車まつり』本体からはリンクされていないから、読まれることは期待していない。
半ば自分の備忘録でもあるから、自己満足といわれようとも構わない。続けるつもりである。(20-12-20記)
話を大山車まつりに戻す。
前回は9輛の山車が若宮八幡社から曳き出されたところで終わっていた。
さて続けようか。
福禄寿車を先頭に若宮八幡社を曳き出した9輛の山車は、若宮大通をしばらく西へ逆走すると若宮通本町の交差点に差し掛かる。ここを北に曲がると本町通だ。
この若宮通本町の交差点の向こう側には緑区の山車4輛が待機している。
若宮八幡社を曳き出された9輛の後に緑区の山車4輛が続行し、ここから13輛が連なって本町通を曳かれるのだ。
今回の大山車まつりで唯一13輛の山車が揃うのがこの本町通であり、もっとも華やかな光景だと私は思っている。
本町通は(かつての)名古屋随一のメインストリートで、名古屋城の本町御門を起点に南へ熱田の宿まで伸びていた。
名古屋城築城に伴ない整備された碁盤割りの道路幅が3間(5.4m)だったのに対し、本町通は5間(9m)あったという。
現在では三越、松坂屋、パルコ等がひしめく南大津通に取って代わられたが、いとう呉服店(現在の松坂屋)、十一屋呉服店(丸栄)を始め大店がこぞって本町通に軒を並べて大層な賑わいだったという。
この本町通は東照宮祭に9輛の山車が名古屋城内の東照宮から本町通を末広町の御旅所へ、また若宮祭も7輛の山車が本町通を名古屋城内の三之丸天王社まで曳かれた。
戦後になって東照宮祭の山車は消え、若宮祭も現在ではわずかに福禄寿車1輛が那古野神社を往復するのみになったが、本町通はこのように名古屋の山車祭りとは縁の深い往還であった。
以下の写真は若宮大通本町から本町通へ曳き入れる福禄寿車から神皇車まで