大山車まつり日記

第1回 はじめに

あれから1年8ヶ月.ウェブサイト「尾張の山車まつり」では、諸事情で大半が未公開になっている「大山車まつり」です。
これは書き留めていた草稿や記録を基に、当時の記憶を呼び戻しながら書いたものです。
多くの人の協力で、膨大な写真記録と動画が収集できましたが、今後どのようなかたちで公開すべきか迷っていますが、まずはFacebookで皆様に読んでいただこうと思います。(2012年6月のFacebookより)
 ※この日記は平成24年(2012)6月からFacebookページの「尾張の山車まつり」にて連載中の「大山車まつり日記」を加筆・再編集したもの。年月等の表記は公開当時のまま書き換えておりませんので、ご了承下さい(16.03.07追記)

平成22年に開府400年を迎えた名古屋では、各種の祝賀行事が行われた。
なかでも我々の心をときめかせてくれたのは、秋10月に行われた「名古屋開府400年大山車まつり」。

先人たちによって伝承されてきた名古屋の山車文化。
13輛の山車が一同に会し、繰り広げられた祭り絵巻。

これは世紀の大山車まつりの記憶が薄れることのないよう、書き留めた私的な撮影記録である。

建中寺公園にて

平成22年(2010)10月16日、大山車まつり当日の早朝、まだ陽が差さぬ建中寺公園のベンチに座り、3人は缶コーヒーを飲んでいた。
建中寺は、いわずもがな尾張藩祖徳川義直公の菩提を弔うために、二代藩主光友が建立した寺である。

私はその朝・・・というか未だ夜が明けぬ4時に起きた。
前夜は、大須へ小陵王車を見に行ったり、撮影準備をして寝たのは2時頃だったか、夜中に何度も目が覚めたので、睡眠は全く足りていないが、辛くはない。
まだ暗い名古屋の街を東照宮に向かって車を走らせる。
前夜遅くに名古屋入りした、KANSAI星組氏と駿河バナナ仙人氏が待機する、京町通のパーキングで二人を乗せ、建中寺三門近くに車を駐めたのは、6時前だった。

大山車まつりの概略

そうだ、なぜ我々3人が建中寺で缶コーヒーを飲んでいたのか、書いておかなくてはならない。
いや、その前に大山車まつりの概略を記しておいたほうが良いだろう。
(先にお断りしておくが、この日記は時間的な流れや位置が頻繁に錯綜する。)

大山車まつりに参加する山車は、東区の出来町から3輛、同じく筒井町から2輛、中村区の花車から3輛の合計8輛が、朝方町内を出発し、名古屋の総鎮守府である中区の若宮八幡社に向かう。
そして同神社でお迎えする福禄寿車を加え、9輛の山車が境内に集結する事から始まる。
また前夜トレーラーで陸送された、緑区の有松・鳴海の4輛も同じ頃、若宮大通の白川公園駐車場で曳き出しの準備をしている。

若宮八幡社で奉納を済ませ、曳き出された9輛に続いて、緑区の4輛が若宮通本町で合流。13輛になった山車は揃って本町通を北上する。
前方の9輛は片端筋(外堀通)から、長島町通の東照宮に参拝・からくり奉納し、長者町通に留め置き暫時休憩となる。
一方後方の緑区4輛は、本町通を直進し本町橋を渡り、名古屋城正門から城内に曳き込み、据え置かれて宵を待つ。

夕刻になって提灯を灯した9輛は、那古野神社に対し参拝・奉納。さらに2組に別れ順次名古屋城正門前まで曳かれ、能楽堂横の名古屋城正門前駐車場で千秋楽を迎える。
以上が大山車まつりの大まかな流れである。

名古屋の総鎮守である若宮八幡社と、藩祖徳川義直公の父家康を祀り、更に尾張の山車発祥の聖地(名古屋)東照宮。
そして名古屋城築城以前から鎮座し、古式の車楽(だんじり)と多くの見舞車で賑わった那古野神社(旧三之丸天王社)。さらに名古屋城二ノ丸の正門前駐車場で千秋楽となる。
これら名古屋の山車まつりに関わる由緒ある三社を、名古屋開府以来名古屋城下のメインストリートだった本町通や、上町の通りで結ぶ一大イベントなのである。

いやイベントなどと云ってはいけないのかも知れないが、語彙が貧困なため適当な単語が浮かばない。