大山車まつり日記

第85回 最後に

さて、帰ろう。
関西星組氏は大阪には帰らず、車中泊をして明日の名古屋まつりに備える。バナナ仙人氏は翌日仕事とのことで、駿河に戻って行った。
Jun氏、MASA氏、吾一氏の3名は電車で横須賀に帰った。
私は那古野神社近くに駐めた車に戻り、チョコ仙人氏を花車まで送り帰途についたと記憶している(多分)。

10年前思いつくまま始めた日記という名の体験記だが、中断期間もあり想定以上に時間が掛かってしまった。
長きにわたり書き綴ってきた「大山車まつり日記」、まだまだ書き足りない思いはあるが、このあたりでいったん筆を置きたいと思う。

各町内からの曳き出しに始まり、本町通を絵巻物のように13輌が並んで曳かれる情景、名古屋三大祭り所縁の神社への奉納、夜空に揺れる提灯の灯り、数えきれない瞬間を追いかけながら、私自身もその熱気や笑顔に何度も心を動かされた。
そのひとつひとつの瞬間には、受け継がれてきた人々の想いと祈りが込められていた。

この記録を通して、祭りの魅力や人々の想い、息づかいを未来へ伝えられれば幸いです。
名古屋の山車祭り文化が、これからも次の世代へと受け継がれ、輝き続けることを願って。

令和7年(2025)10月16日nova

最後に撮って貰いました。
記念ですから。
撮って撮って撮りまくった友と肩を並べて・・・・
ではなくて、脚立を並べて記念撮影です。

一緒に動いてくれた仲間には、心からお礼を言いたい。
早朝から休む間もなく飛び回り、撮った成果は、数日後に届いた撮影データに凝縮されていた。
今思えば、この大山車まつりが現在の「チームnova(略称)」の原点になったのかもしれない。

最後に、読みづらい文章と冗長な写真の羅列にも関わらず閲覧くださった皆様。大山車まつりにおいて情報提供や撮影協力して下さった曳綱会、二福神車、神皇車ほか山車関係者の方々、そして笑顔と声掛けを頂戴した皆様には、あらためて御礼申し上げます。

参考までに
※大山車まつりの翌日(2010.10.17)一夜を明かした9輌の山車は、名古屋まつり「山車揃え」に参加した。
※また大山車まつりの4年後、平成26年(2014)「名古屋まつり宵の山車揃」が実施された。
これは名古屋まつりの60周年記念として、東照宮のある長島町通にて9輛の山車が提灯を灯し、名古屋城内に曳き込まれた行事である。

後日譚
第5回で『時を合わせる』と書いた。
その理由は第5回を見ていただくとして、筒井町の建中寺公園で3人のデジカメ時刻を合わせたのだが、後で確認すると確かに3人の時計は秒単位まで合っていた。
ただ・・・
私のカメラの日付が2010年10月6日のはずが、なぜだろう?
2011年10月6日になっていた。
とんでもないミスである!
これでは私だけ開府401年祭ではないか。
後で気が付いたときには随分焦ったが、Adobe社のLightroomというソフトで修正出来そうだったので、こっそり1年分巻き戻して事なきを得たのだった。