
那古野神社から千秋楽会場の名古屋城正門前駐車場までの行程が、この大山車まつり最後の曳行となる。
那古野神社の奉納を終えた山車は、提灯を揺らしながら本町通を北上し、本町橋を渡って本町御門をくぐる。
いや、実際にはくぐってはいない。本町御門自体が現存していないから、これは単なる空想だ。
かつて(明治維新前)、東照宮と三之丸天王社は名古屋城内にあり、東照宮祭と若宮祭の山車が城内の両社に曳き込むには、この本町御門、南西にある御園御門を通らなければならなかった。
名古屋型の山車はからくり人形を乗せた二層構造で背が高いため、御門をくぐるには屋根を下げる仕組み(せり上げ)が採用された。普段は屋根を上げて曳行し、御門をくぐる時だけ屋根を下げて通過する。
今では門をくぐる必要はなくなったが、この構造のおかげで現代でも電線を回避したり、時には電車の線路を渡ることもできる。
江戸時代の山車や、尾張地方にかつて存在した古式の大山や車楽といった大きな山車は、明治維新後に電線が張り巡らされたことで曳けなくなり、廃れてしまった。名古屋型(知多型も含む)の山車が現在も多く曳かれているのは、この昇降装置のおかげかもしれない。
本町御門は明治6年(1873)に御園御門とともに取り壊された。
話を戻す。
護国神社、名城病院を過ぎ片側三車線もある大きな二之丸の交差点を左(西)に曲がる。
右手に東海農政局の建物が見えてくるが、ここは明治維新以前(藩政時代)は三之丸天王社や東照宮が鎮座していたところだ。
夜だから何も見えないし、見えても木立の奥に農政局の味気ない建物が見えるだけだが。
さらに西に進み名古屋城正門前交差点を北に曲がると、まもなく千秋楽会場の名古屋城正門前駐車場だ。
私が到着したときには、既に先班の5輌が曳き込まれていた。
19:25 千秋楽が行われる能楽堂駐車場(B)
後班の先頭王羲之車は本町橋(H)
湯取車(H)
河水車(N)
鹿子神車(N)
河水車(H)
能楽堂に到着した河水車(N)
19:57 (N)
二列に並ぶ中を最後の湯取車が入ってきた(H)
順番にからくり(N)