大山車まつり日記

第78回 那古野神社奉納~鹿子神車・湯取車

那古野神社の歴史2

明治維新後、当天王社と東照宮は大きな変革を迫られた。神仏分離により祭神を牛頭天王から須佐之男命に代え、社領は没収され社名も須佐之男神社と改称した。
明治9年(1876年)に名古屋鎮台が城内に置かれることになり、天王社と東照宮はともに旧藩校の明倫堂跡地である茶屋町の現在地に遷座された。
明治32年(1899年)に那古野創始の由緒に基づき再度、須佐之男神社から現在の那古野神社へと改称した。

昭和20年(1945年)3月19日の名古屋大空襲では、東照宮とともに本殿が焼失したが、昭和34年(1959年)に再建された。

天王祭

三之丸天王社の例祭である天王祭は、東照宮祭、若宮祭と並んで名古屋三大祭の一つとして数えられ、天王祭と若宮祭の祭礼日が同じだったことから総称して「祇園祭」と呼ばれていた。
天王祭には、先車・後車の2輌の車楽と10数輌の見舞車が曳き出される賑やかなものだったが、戦災で多くを焼失してしまった。

現在は7月15・16日の両日には焼失を免れた車楽1輌が境内に据え置かれ、若宮八幡社へ神輿の渡御が行われるのみとなっている。
一方の若宮祭は5月15・16日へと祭礼日が変わり、焼失を免れた福禄寿車と神輿が那古野神社への渡御が行われている。

しかし、前述したように天王祭の2輌の車楽と10数輌の見舞車、若宮祭の7輌の山車が曳かれた賑わいからすれば、かつての祇園祭の面影はない。

□動画~那古野神社~鹿子神車B 撮影:坊の後輩


□写真集~那古野神社奉納~鹿子神車

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□動画~那古野神社~湯取車B 撮影:坊の後輩


□写真集~那古野神社奉納~湯取車

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