大山車まつり日記

第77回 那古野神社奉納~王羲之車・河水車

那古野神社への奉納は続くが、書くことが尽きかけてきた。那古野神社の歴史とか天王祭の事など書き連ねることにする。

那古野神社の歴史1

那古野神社は、名古屋城築城以前から那古野庄に鎮座し、創建は延喜11年(911年)醍醐天皇の勅願によって牛頭天王を祀る天王社として建立されたと伝えられている。

織田信長と今川義元の那古野合戦(1532年)で焼失したが、織田氏によって再建され、その後も豊臣秀吉から社領の寄進を受けるなど、時の権力者の庇護を受けてきた。
慶長15年(1610年)に徳川家康が名古屋城を築城する際、天王社は隣接する若宮八幡社や八王子社とともに郭内に入ってしまうため、家康は神意を伺うために御神籤を行った。
その結果、八王子社は移転(名古屋市北区清水)、若宮八幡社も現在地(名古屋市中区栄三丁目)に移転することになった。

一方、天王社は遷座不可との御神籤の結果が出たため、そのまま留め置かれ名古屋城の総鎮守として、また名古屋の氏神として祀られた。
別当寺として境内にあった亀尾山安養寺(天王坊)から「亀尾天王社」、あるいは三之丸に鎮座することから「三之丸天王社」とも呼ばれていた。
元和5年(1620年)には、当天王社の西隣に東照宮が建立されたのは東照宮奉納の項で書いた。

□動画~那古野神社~王羲之車B 撮影:坊の後輩


□写真集~那古野神社奉納~王羲之車

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□動画~那古野神社~河水車B 撮影:坊の後輩


□写真集~那古野神社奉納~河水車

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