正門を通り抜けた先は西之丸で、本丸の防御を固めるための重要な拠点だったので、櫓や城壁などの防御施設が設けられ敵の侵攻を防ぐ役割を担っていた。
明治維新後の廃城令によってその多くが取り壊されて、現在は公園として整備されている。(この正門から先は入場券が必要)
西之丸の広場に並んだ山車は、先ほど解体した屋根を再び組み上げることになった。
知多型のように毎年山車の解体や組み上げを行わない名古屋型の関係者にとって、負荷のかかる作業であっただろう。
あらためて迫り上げ装置の有り難みを実感する光景であった。
屋根の組み上げが終わると、休む間もなく提灯の飾り付けとなかなか忙しい。それでも西之丸に入ってから1時間くらいで完了した。
東照宮と天王社があった場所は名古屋農林総合庁舎、水資源機構が建てられており、その北側の「金シャチ横丁」(大山車まつり当時にはなかった)あたりと思われる。
また、先ほど緑区の山車が屋根の解体を行った名古屋能楽堂や名城公園正門前駐車場などがある場所には台徳院殿、大猷院殿、厳有院殿などの寺院や屋敷があった。
この後17時から名古屋城は一旦閉門され休憩となった(K)
午後18時に再び開門されお囃子とからくり人形が披露された
緑区の山車4輌はここで一晩明かし、翌日曜日この場所で山車の展示とからくり人形の上演があり、夜になってトレーラーにて町内に戻った。
※都合により、この会場の撮影は夕方17時までで終わっている。日曜日の様子は動画をご覧いただきたい。
動画前半はからくり人形の上演、後半に山車をトレーラーに積む様子が収録されている。