休む間もなく屋根の解体に取り掛かった。
これは、名古屋城正門の開口部が屋根を最下段に下ろした山車高より低いためで、城内に入るためには屋根を外さねばならないのだ。
ご存じの通り名古屋の山車をはじめ尾張系の山車の多くは迫り上げ装置によって屋根が昇降する構造になっている。
その理由として東照宮祭と若宮祭において名古屋城内に鎮座していた東照宮と天王社に曳き入れるため、「本町御門」と「御園御門」を通り抜ける必要があった。
門の手前で屋根を下げ、通り抜けたら再び屋根を上げる仕掛けを考案したと考えられる。
逆に云えばこの両門の開口部の大きさが現在の名古屋型山車の寸法限界になったともいえる。
現在この地方に分布する名古屋型、知多型や犬山、津島など細部こそ異なるが、1階に囃子方、階上にからくり人形を載せその屋根が昇降できる構造になっている。
まさしく東照宮の山車形態が尾張各地の山車に広く分布していったことに他ならない。
東照宮祭と若宮祭以外に城門を通り抜けることはなく、必要ではなかっただろうが、昇降装置は継承されている。
現在でも5~6mもある背の高い山車が、電線や歩道橋などを回避しながら曳行できるのも、この迫り上げ装置のお陰である。
迫り上げ装置の構造を知りたい方は知多型の例だがこちらに。
現愛知県図書館の南にあった枡形門で、東照宮祭の山車はこの門から二之丸に曳き込み、東照宮に参拝し本町御門より曳き出した。