大山車まつり日記

第63回 東照宮奉納~神皇車


東照宮前の神皇車(C)

東照宮祭について5

明治から大正、昭和と時代が変わっても、東照宮祭は名古屋を代表とする祭りとして続けられたが、太平洋戦争に突入し戦時色が強まると、昭和12年(1937)を最後に山車の曳行は行われなくなった。

さらに昭和20年(1945)の名古屋空襲によって、名古屋城天守閣とともに東照宮祭の祭車9輌すべてが焼失してしまった。(同時に東照宮と那古野神社の社殿も焼失した)

この空襲では東照宮の祭車だけではなく、若宮祭や市内各地で江戸時代から伝えられていた多くの山車が焼失してしまった。これは名古屋の山車文化にとって大きな損失であり残念でならない。

戦後になると東照宮の祭礼は、山車の曳行はなくなり毎年4月16日の夜に舞楽、17日は神事が執り行われている。
山車をすべて失ってしまった祭礼に往時の面影はなく、さらに戦後の都市復興の中で祭礼規模も縮小されていった。

昭和30年(1955年)に名古屋の復興を象徴するイベントとして始まったのが、現在の「名古屋まつり」で、東照宮祭とは別の祭りとして行われている。
だが、歴史を紐解けば、東照宮祭がかつて「名古屋祭」と呼ばれていたように「名古屋まつり」のルーツであったともいえる。
現在の名古屋まつりでは、郷土英傑行列、市街地パレード、各区のまつりなど、様々な催しが行われているが、その一環として名古屋市指定文化財の山車9輌が山車揃えとして名古屋市役所前に勢揃いし、栄交差点まで曳かれている。

この大山車まつりを終えた9輌の山車は名古屋城内にとどまり、翌日(10/17)の名古屋まつり山車揃に参加した。

□動画~東照宮奉納~神皇車(撮影:nova)


□写真集~本町橋~片端筋3

最後の1輌神皇車です(N)
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からくり人形の奉納(H)
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長島町通を南下します