大山車まつり日記

第59回 東照宮奉納~王羲之車


東照宮前の王羲之車(B)

東照宮祭について1

徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府が開かれると、家康の命により西への備えとして那古野台地に名古屋城が築城された。
御三家筆頭ということもあり、名古屋は江戸、京、大坂の三都に次ぐ大都市に成長した。
徳川家康の三回忌にあたる元和4年(1618年)に大祭を行ない、翌5年に(名古屋)東照宮が完成したことは既に述べた。

東照宮の祭礼に初めて山車が登場したのがこの元和5年のことで、七間町が大八車を2つ繋げて西行桜の能人形を飾り行列に加わったという。

翌6年には、警固を従えた神輿渡御が始まり、七間町は「京の五条大橋で牛若と弁慶が立ち合いをする」からくり仕掛けの人形を載せた「橋弁慶車」を曳き出した。
この山車が大反響を呼んだといい、他の町々もこぞって山車や警固を造り祭礼に参加するようになった。
その後山車9輌と35箇町からなる警固行列が完成した。

□動画~東照宮奉納~王羲之車(撮影:その信号左折で。氏)


□動画~別アングルから~王羲之車(撮影:nova)


□写真集~東照宮奉納~王羲之車

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からくり人形の奉納(H)
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木遣り(N)