桜通を渡り2本目の筋が魚ノ棚の通りで、この辺りから町名は本町となる。東照宮祭では猩々車を登場させていた町内で祭礼では七間町橋弁慶車と隔年で先車をつとめていた。
山車の列は直進するが、この魚ノ棚の筋を西に行くと名古屋では有名な河文が今も店を構え、さらに西に向かうと堀川に突き当たる手前が車ノ町。
三之丸天王社の車楽(だんじり)を出していた。
さて、この魚ノ棚通本町の角には吾一氏が待ち構えて、一気に先頭の福禄寿車から最後尾の有松唐子車まで全13輛を撮ってくれた。
前述したが本町通で最後尾の唐子車まで待って撮ると、先頭の山車はもう東照宮前に到着してしまっているし、さらに3輛目の鹿子神車でさえ外堀通から長者町通に曲がる頃でもある。
それゆえ私や星組氏は本町通を途中で切り上げてしまったのだが、同じところから全13輛の山車を押さえてくれたのは貴重でありがたい。
福禄寿車から有松唐子車まで
撮影はすべて吾一氏(G)