今回は桜通を横断する先頭の福禄寿車から王羲之車までの5輛。
桜通は名古屋市(熱田神宮南)と長野市を結ぶ国道19号線の一部になっており、通行量も多く片側四車線の広い道路ではあるが、かつては桜ノ町筋(菅原通)と呼ばれる幅の狭い道だった。
昭和12年(1937)国鉄名古屋駅が建設された際に、駅前広場から東に向かって拡張する形で建設されたのが現在の桜通だという。
当時としては珍しい幅員50mの道路で、現在でも片側4車線は錦通とともに本町通と交差するもっとも大きな交差点である。
桜通といってもその街路樹の大半は公孫樹(イチョウ)で、名称は小桜町(菅原町)の桜天神社が由来という。
名古屋城築城の際に加藤清正がこの天神社を普請場とし、桜を見ながら花見をしたり茶会を開いたりしたというが、肝心の桜の大木は万治の火事のときに焼けてしまって残っていない。
桜天神社は今もビルに囲まれた一角に鎮座し、名古屋三大天神に数えられている。
さて、この通行量の多い幅員50mの道路を一度に何輛もの山車が渡るのは現実的でなく、何輛かに区切って渡った(のだと思う)。
写真は桜通を横断する福禄寿車から王羲之車まで。
撮影は星氏(H)と一部バナナ氏(B)