タイトルの文字数の関係で省略したが「唐子車から唐子車」は「中村区内屋敷唐子車から緑区相原町唐子車」である。
次々と通りすぎていく山車を見ていて、一つだけ残念だったのが屋根を上げた山車がほとんど無かったこと。
名古屋型の美しさは細身の四本柱で屋根を最上段に上げたプロポーションに尽きると常々思っていたが、それは叶わなかった。
本町通は電線が地中化してあるから山車の屋根をいくら上げようと問題はないと思っていたのだが、実はそうではなかったのだ。
※1928年(昭和3年)本町通の拡張と同時に舗装工事と架空線の地中化も行われ現在にいたる
信号機が!道路標識が!さらには街路樹がある。それでも・・・
敢えて云うなら本町通の一部分は屋根を上げて曳くことはできる。
障害のある箇所だけ屋根を下げたら済むことだし、曳行中でも屋根の昇降ができるよう改造されているのだから(中村区や緑区の山車を除く)
部外者だから言えることかもしれないが、手間暇を惜しんで美意識に目をつぶってしまうのは寂しく思う。
時間にして0時10分からの約10分。撮影はすべてnova。
この鳴海唐子車以降も有松布袋車、同唐子車、同神宮皇后車と続くが、この時点で先頭の福禄寿車は魚ノ棚筋を過ぎようとする頃。
このまま玉屋町に居続けると東照宮の答礼に間に合わない恐れがある。
後述するが東照宮の答礼はこの大山車まつりで重要な行事となっている(と私は思う)。
申し訳ないが残り3輛を残して北へ向かうこととする。