大山車まつり日記

第41回 本町通散開


(N)

本町通は名古屋城の本町御門を起点に南へ熱田の宿までだが、今回山車が通るのは若宮大通本町から本町橋交差点までの約1,700m。
この区間の撮影分担は事前の打ち合わせで概略こそ決めてあったが、具体的な撮影場所は各自にお任せすることにしてあった。
大山車まつり終了後に届いたそれぞれの画像データを見て誰がどこで撮っていたのか判った次第。

若宮八幡社を出てから全く顔を合わせていない星氏だったが、前夜若宮八幡社の近くに移動用の自転車を仕込んでいたそうである。
それで若宮大通本町で最後尾まで13輛を撮った後、自転車の機動性を活かして先回り。
桜通と杉ノ町通の間、昔の町名でいえば福井町で先頭の福禄寿車から布袋車まで定点で撮り続けてくれた。

定点撮影、つまり星氏のように一箇所にとどまり、同じ位置から撮り続けること。これは重要なことで、無計画にやみくもに歩き回ると撮りこぼしの恐れがある。
1輌たりとも欠けてはならない。いや欠けても誰に怒られるものではないが、13輌揃って曳いているのに1輛でも欠けているのは何とも気持ちの悪いものだ。
この定点撮影をしてくれたのは後述するが、星氏、吾一氏、私の3名だった。

チョコ氏は若宮八幡社の曳き出しを撮ったあと、本町通を桜通本町まで撮り歩きながら北上。さすがに先頭には追いつけないので、歩きながら中村区の3輛と神皇車を主に撮影。(早朝の曳き出しからずっと中村の山車に密着とは律儀なお方である)
先行して私と途中まで一緒に移動したバナナ氏は玉屋町で別れた後、さらに北に向かった様子だがどこへ行ったのか確認出来なかった。

遊軍の吾一氏は若宮通本町で撮ったあと、なぜか私にくっついていた。そしていつの間にかいなくなったと思ったら、北上して魚の棚筋の角で撮っていた。
片端筋の2本南で我々の中では最北端、町名でいえばまさに本町で一番美味しいところではある。
定点撮影といいながら実は彼一人だけ正真正銘13輛撮り続けていたのだった。(後述するが星氏も私も時間の関係で後ろのほうはフェードアウトしていた)

new氏は一番南側の大久保見町あたりで緑区の山車を撮った後北上したもよう。
KEN氏は昼休憩だったのか本町通の写真はなかったが、その後本町橋交差点から緑区の山車に付いて名古屋城方面に向かってくれた。

大雑把な打合せと、長大な行列ゆえ若干の不安はあったが、そこは仲間だからして阿吽の呼吸とでも云おうか。
結果的になんとかなってしまったのである。感謝!

動画はJun氏が桜通本町を渡る13輛、MASA氏も同じく玉屋町(袋町本町)で13輛撮影してくれていた。
1輛も欠けることなく動画に収めるのは大変だったろうが有り難い。

□写真集~本町通の配置

私(N)は伝馬町通の1本南の袋町筋と本町通が交わる交差点の北側、つまり「袋町通本町」。江戸末期の町名では玉屋町になる。動画撮影のMASA氏もすぐ近くで撮っていた。
星氏(H)は桜通の北側(桜通本町)に陣取った。桜通は広い通りなので見通しが良く写真を撮るには都合の良い場所である。昔の町名では福井町となる。
もっとも北側にいたのが吾一氏(G)で魚ノ棚筋と本町通が交わる交差点の北側、旧町名ではまさに本町。

12:21 星氏が陣取った桜通本町は広いので遠くまで見渡せた(H)

12:55 吾一氏は魚ノ棚筋で1輛目から13輛目最後尾の有松神功皇后車まで撮った
ただし、ここで最後尾まで撮り続けると東照宮に間に合うのか?

11:38 末広町(Y)
NEW氏はこのあたりで
12:13 福井町辺(C)
チョコ氏は中村区3輛と神皇車とともに歩きながら
12:02 伝馬町(B)
バナナ氏は先頭付近を撮りつつ早めに北上