大山車まつり日記

第34回 若宮八幡社曳き出し1


境内の西側(B)

最後の紅葉狩車の奉納が終わったのが11時6分だった.
境内は緊張が解かれ、曳き出しまでわずかの時間.
ホッと気の緩む束の間のひとときだ.
境内のあちらこちらで語らいの輪ができ、この時とばかりに観客も山車に近寄り眺めている.

紅葉狩車は元の位置に戻らず拝殿前に留まっており、気が付けば福禄寿車は既に境内から曳き出されて鳥居の外に止まっていた.
そしていよいよ若宮八幡社から山車が曳き出される時間がやってきた.
大山車まつり最大の呼び物と云える東照宮までの曳行が始るのだ.
ただ、例によって何の前触れもないが

福禄寿車から曳き出し開始

11時25分先頭の福禄寿車が若宮大通に曳き出された.
曳き出し順は福禄寿車、湯取車、鹿子神車、河水車、王羲之車、唐子車(内屋敷)、二福神車、紅葉狩車、神皇車で先ほどの奉納順とはいささか異なっている.
事情は知らないが、福禄寿が先車なのは前人形が幣振人形だからだろうか.
東照宮祭の下七間町の橋弁慶車、或いは本町の猩々車は隔年で先車となるが、いずれも前人形が幣を振り沿道を清めながら曳かれていた.
当若八幡社のあるじ、つまり福禄寿車はホストだからゲストに敬意を表して8車が曳き出すのを待ち、最後に出るという考えはなかったようだ.

二番車の湯取車はこれから向かう東照宮所縁(ゆかり)の山車.万治元年(1658)に東照宮の祭礼車として桑名町で建造された「湯取神子車」がその起源で、天保2年(1831)に不要となった古車を筒井町情妙寺前が買い求めたもの.
先年(平成20年)98年振りに東照宮まで御社参曳行したのはまだ記憶に新しい.
以下鹿子神車、河水車、王羲之車と出来町の3輛が続き、後半の唐子車以下神皇車までは三之丸天王祭所縁の見舞車で、いずれも広井村各字で造られた山車である.

最後に神皇車

しんがりの神皇車、いや実際にはしんがりではなく、本町通からは後ろに緑区の山車4輛が続くのだが、この神皇車はご存じのように、屋根や勾欄が赤く大幕が青だから遠くからでもよく目立つ.
実際本町通を13輛が曳かれている時でも、遠目に前9輛と緑区4輛の境目が一目瞭然だった.
まさか、このために9輛目に神皇車を配した訳ではあるまいが・・・

鳥居を出た山車は右に曲がって若宮大通を西に向かう.東向き車線だから逆走になるが、そうでないと大きく迂回して本町通に向かうことになってしまう.

□写真集〜曳き出し前の若宮八幡社境内から福禄寿車曳き出し

東側を望む.最後に奉納が終わった紅葉狩車はそのままの位置に留まっている(H)
既に福禄寿車は鳥居の外に出ている(H)
福禄寿車(H)
社務所前(H)
11:18湯取車が鳥居の方向に移動を開始した(H)
11:23福禄寿車が動き出す(H)
若宮大通に出た福禄寿車(C)
西に向きを変えた福禄寿車(C)
若宮大通を西に進む福禄寿車(C)
本町通り方面から東を望む.福禄寿車の後ろに若宮八幡社を曳き出された湯取車が見える(N)
若宮大通本町の交差点に福禄寿車.歩道橋の上にも大勢の人(N)
同福禄寿車(B)