文政元年(1818)に旧広井村新屋敷(中村区名駅4)で三之丸天王祭の見舞車として建造された神功皇后車を明治20年(1887)に筒井町が購入したもの.
明治34年に空木建(山車の木組み)を新調し寸法を大きく、また昭和28年には出高欄にするなどの改造が行われ、この時に高欄・屋根・四本柱が朱塗りになり、現在の姿になった.
このように名古屋型では珍しい朱塗りの山車と青地に金刺繍の大幕は名古屋唯一である.
大幕は青地に波と千鳥の金刺繍、水引幕は白地に十二支の刺繍で、その下絵は森高雅・山本梅逸・渡辺清によって描かれたといわれる.
帰り囃子は若宮祭の門前町「陵王車」で演奏された「開花」を緩やかにした曲で篠笛で演奏される.
神皇車は明治43年(1910年)の開府300年祭にも参加した.