奉納の先鋒は出来町天王祭「鹿子神車」である.
鹿子神車は出来町の3輛では唯一戦災の焼失を免れた山車で、100年前の300年祭にも参加した山車である.
その由緒は宝暦11年(1760)若宮祭の山車として建造された住吉町の「菊慈童車」で、文化7年(1810)頃に住吉町が新たに山車を建造したことから、西之切がこの古車を譲り受けたものと伝えられる.
この鹿子神車は名古屋で唯一の楫方集団「二番永田組」によって運行され、楫方・腰回り(梃子)の力や技が見事なことから注目を集める.
この大山車まつりに参加するにあたり、紅白の楫方帯を締めて参加した.