大山車まつり日記

第22回 閑所独言其の弐

前回の続きで申し訳ないが、今しばらくお付き合い願いたい.

今回の大山車まつりをご覧になった方はお気づきだろうか.
この山車9輛(本町通では13輛)が各所で数トンもの山車を回転させ、或いは目の前を曳行するのだが、神社や曳行コースでロープ等での規制が一切なかった事を.
強いていうなら「そこ危ないですから下がって下さいね」程度の事である.

そもそも名古屋市内の祭りはロープを張ったりして規制はしない.確かに山車と見物人の間をロープなどで仕切ってしまえば簡単であるが、そうはしない.
規制など野暮で無粋だろうと私も思う.
山車側と見る側のあうんの呼吸とでもいおうか、距離感は各々が測れよ.あとは良心に任せるのが良いと.

ただ、大山車まつりだけではないが、ノー天気なエセカメラマンが近頃多すぎるのも事実.
度が過ぎると、他地区で見かけるように山車の左右をロープで規制し追いやられるようになっては興ざめである.

※ムダに書き連ねてしまったが、それだけ怒り心頭だということ.

もっとも江戸時代の「東照宮祭礼絵図」などを見ると、本町通の沿道は規制されているかのように見える.現在の名古屋まつりのパレードを見物する観客のように、沿道に座って山車が通るのを見物している.また山車の側面に長い竹竿を持った人物が描かれている.

下の絵は江戸時代末期に出版された「尾張名所図会」のなかで東照宮祭の一部である.
商家とおぼしき座敷には竹矢来が組まれている.
また交差する辻々は杭を打ち、その外側に見物人がムシロを敷いて見物している.現代の名古屋まつり英傑行列もこんなカンジではあるが.

伊勢門水著の「名古屋祭」によると

東照宮祭では山車及び警固にいたるまで徳川家より知行が付いていて、町代年寄は帯刀を許され当日だけは士分の資格であるので、もし行列中無礼者に対しては斬り殺しても構わない特権があったという.
藩制の祭りであるから、無礼者は切り捨て御免なのだ.
話が逸れてしまったので、次回より奉納に戻す.

□写真集~閑所独言・江戸時代の山車曳行

尾張名所図会(個人蔵)より彩色し、東照宮祭~橋弁慶車の一部を示す
商家とおぼしき町屋の座敷前に竹矢来がみえる.
前掲書より伝馬町林和靖車の一部