8輛の山車が境内に曳き込まれ、各車は左に楫を切り社務所前の決められた位置に据え置かれた.
その少し前まで福禄寿車1輌がポツンと佇んでいた境内が一気に賑やかになった.
9輛の山車が境内に並んだ時に、境内東側に離れて脚立に乗って眺めていた私だが、気がづけば山車と祭人が集まる真っ只中に飛び込んでいた.
山車群の中に入ると、各車囃子を切らさぬから9輛の囃子が怒濤の如く押し寄せてくる.
皆良い顔をしており、私も大いに興奮していたようで手当たり次第に声を掛け手を握り、祝いの言葉をかけていた.
しんがりの湯取車が定位置に停止したのは9時38分だった.予定より10分ほど遅れているだろうか.
境内の山車配置を述べると
社務所前に右(東)から紅葉狩車、内屋敷唐子車、二福神車と中村の3輌が南向きに.
次いで鹿子神車、河水車、王羲之車、神皇車、湯取車、そして当初からの福禄寿車と弧を描くように留め置かれている.
湯取車と福禄寿車は社務所に正対した北向きだ.(下図参照)
9時42分、その中心に緑区5輌を含め全13輌の三役が集まると、総肝煎の宣言をきっかけに、いよいよ「大山車まつり」が始まる.
若宮八幡社神職による御祓、総肝煎永田哲也、連絡協議会会長木股元男、名古屋市長河村たかし各氏の挨拶の後、若宮八幡社への参拝(からくり奉納)が始まる.
1輛ずつ神前に曳き出され、八重を披露しからくり人形を奉納露するのだ.
以前も書いたが我々の境内での撮影分担は、
私が拝殿寄りの東側(図中N)、その南側にバナナ氏(B)、さらにその南側には星氏(H)が、チョコ氏(C)は真南から拝殿に正対して陣取った.
西側からでは光線状態も悪く山車の出入りがあって邪魔になるから必然的にこうなるのだが、それでも変化に富んだアングルから写真が撮れる.
さらに吾一氏は遊軍だったが何と私の隣に居座ってしまった.
本当は芳しくないのだが、画像を見て納得.私がロング(山車全体)主体で撮っていたのに、彼はアップが多かった.
脚立のない彼にはアップでしか撮れない事情があったのだが、結果良しってことか.