鹿子神車と河水車に続いて、王羲之車が若宮八幡社に曳き入れられた.
古出来町は前回の300年祭で唐子獅子車(石橋車)を曳いて参加しているが、昭和20年(1945)の戦災で中之切の石橋車とともに焼失してしまった.
現在の王羲之車は古出来町の町内の人々によって戦後新たに建造されたものだ.
更に筒井町天王祭の神皇車が鳥居をくぐる.青地の大幕と朱塗りの高欄が若宮の境内にまばゆく感じられるが、300年祭に出場したときの神皇車はそうではなかった.
昭和28年に高欄や屋根を朱塗りにして出高欄になった.さらに大幕を青地に千鳥の刺繍に替えている.つまり300年祭当時の神皇車は黒い高欄で幕も青くなかったのだ.
山車名も300年祭当時は「神功皇后車」と称していたが、昭和48年の名古屋市有形民俗文化財の指定時に「神皇車」となった.
しんがりは同じく筒井町天王祭の湯取車である.この山車も300年祭当時は湯取神子車と称していた.
言わずもがな湯取車はかつて東照宮祭の祭車であったから、若宮祭とは縁もゆかりもない山車である.これが若宮八幡に曳き込まれたのだから面白いと言うか、100年前・・・いや、東照権現様も思いもよらぬことだったろう.
湯取車には2組の山車幕があって、一つは文化年間に造られた三色の縦継ぎ大幕と雲龍の水引幕のセット.これは東照宮祭に曳かれていた頃の復元幕である.
もう一つは猩々緋の大幕と白地に麒麟・鳳凰・亀の刺繍だ.
祭礼では適宜使い分けられているが、今回はやはり前者の幕で登場である.
さて、これで8輛全ての山車が若宮八幡社に集った.