中村区の山車3輛が社務所前に並び終えたのは9時8分だった.
その頃、東区の山車は若宮八幡社の裏手、矢場町通りを通って本町通に差し掛かっていた.
そして9時15分、先頭の鹿子神車が若宮大通に姿を現した.
私と星氏は若宮八幡社に曳き入れられる山車を定点で撮るため、境内から離れる事はしなかったが、本町通から若宮大通の様子はチョコ氏と吾一氏が撮っていた.
チョコ氏は中村の山車が曳き込まれた後、裏口から出ていったが、そのまま東区5輛のうち後方の筒井町の山車を撮りながら、矢場町通~本町通~若宮大通とグルッと回って若宮八幡社に戻って来た.
吾一氏は若宮大通にかかる歩道橋の上から先頭の鹿子神車を撮って、鳥居前で東区の山車を撮った.
また、ビデオは中村の山車同様、鳥居の外からJun氏、拝殿前からMASA氏が撮っているので、出来町天王祭3輛と筒井町天王祭2輛に編集して見ていただく.
9時17分、鹿子神車が若宮八幡社に曳き入れられた.
この鹿子神車はかつて当若宮祭の「菊慈童車」だったと伝えられている.
また、鹿子神車に続いて曳き入れた河水車も、同様に住吉町が建造した河水車であるから、2輛はいわば里帰りの山車である.
奇しくも若宮祭所縁(ゆかり)の祭車が続けて2輛若宮八幡社に曳き入れられたことになるが、詳細は後ほど.
若宮祭所縁といえば、若宮八幡社の近く若宮大通公園に、下玉屋町で造られた現有松東町所有の「布袋車」がいる.
残念ながら今回は曳き入れる事が適わなかったが、今回の大山車まつりには当社所有の福禄寿車を含めて4輛の若宮祭所縁の山車が揃ったという事になる.
(若宮祭の山車としては、他に美濃市に末廣町で建造された黒船車が遺されている.5輛の若宮祭車が揃うのは夢・・・だろうか)
鹿子神車(菊慈童車)の里帰りは丁度200年振り、河水車は62年振り、布袋車は119年振りとなる.