若宮八幡社で手ぐすねを引いていた私の耳に、遠くから囃子が聞こえてきた.
時計を見ると9時5分前だった.私はそのまま境内から外に出ると、本町通を越えてこちらに向かってくる中村の唐子車が見えた.
急いで数カットを撮って再び境内に戻ると、裏口から星氏とバナナ氏がやってきた.
東区から歩いてきた星氏とバナナ氏は休む間もなく簡単な打合せの後、今度は若宮八幡社に曳き込まれる山車を撮るため境内に散った.
いつもなら3人並んで、無駄話・馬鹿話しながら撮るのだけど、今日ばかりはそれもない.
囃子の音が大きくなり、午前9時の定刻通り唐子車(内屋敷)が鳥居の向こう側に現れ、立切でこちらに正面が向いた.
いよいよ歴史的な瞬間がやってきた.
といってもテープカットやファンファーレ、もちろんくす玉を割るというような儀式もなく、何の前触れもなく唐突に唐子車が入ってきた.
文字通り100年越しの世紀の一瞬!という感慨・・・は無い.
そりゃそうだ、まだこの時間帯には 若宮の関係者と一部の物好きしかおらず、主催の曳絆会のメンバーも山車とともにこちらに向かっているのだから.
唐子車が鳥居をくぐり若宮八幡社の境内に曳き込まれ、さらに二福神車、紅葉狩車が続く.
鳥居の横に控えている福禄寿車が拍手で迎える.
私は拝殿前から鳥居に正対し撮っていた.星氏はさらに先の参道の脇、バナナ氏は鳥居の外に出て行って撮っている.
中村区の山車と若宮まで歩いてきたチョコ氏は、境内にやってきたと思ったら、裏口から再び東区の山車を撮りに出て行ってしまった.
吾一氏は朝から若宮八幡社、そして白川公園で準備する緑区の山車5輛を撮ってくれていたが、若宮八幡社に曳き込まれる中村・東区の山車8輛を鳥居の外から撮り、全ての山車が曳き込まれてから境内に入ってきた.
一方Ken氏は、ずっと白川公園で緑区の山車を担当してくれていた.その後公園で準備が整った緑区4輛は順に若宮大通りに出たのだが、その頃若宮八幡社には9輛の山車が揃っている時間帯だ.(この様子は後ほど)
若宮八幡に来られなかったKen氏には申し訳なかったが、お陰で緑区の貴重な写真を保存することが出来たのには感謝.