時空が行ったり来たりで申し訳ないが、話は再び8時前に戻る.
建中寺前で5輛の山車と星氏・バナナ氏を見送った私は、ここまで乗ってきた車を再び那古野神社近くの駐車場まで回送した.
これは千秋楽終了後の足を確保する為でもある.
そして、本町通を那古野神社から若宮八幡まで大急ぎで歩く.
ただ歩くのではない.数時間後にこの本町通を13輛の山車が北上してくる事を想定して、光線状態や街路灯・看板などの写り込みをチェックしつつ、撮影ポイントを検討しながら歩いたのだ.
当たり前だが北上する山車を正面から捕らえようとすると逆光になるが、これは天地がひっくり返らない限り仕方のないこと.
もっとも私は逆光は嫌いではないが.
出来れば上町で撮りたいと思う.だが、あまり北側で撮ると東照宮の答礼に間に合わない恐れもあるので、玉屋町あたりに目星を付ける.
一応伝馬町通本町、袋町通本町、元重町通本町あたりを候補にして定点で撮るのが良さそうである.
伝馬町通本町は江戸時代には清須を経由する美濃路が分岐する交差点で、「札の辻」と呼ばれ名古屋の中心として賑わったところだ.
開府400年に相応しい場所ではあるが、桜通りに近いからこの辺りだと信号待ちで山車が停まってしまう可能性がある.
出来れば曳行姿が撮りたい.
ここでアクシデントが発生した.この日のために新調して事前に浜北と横須賀の祭りで3日ほど足慣らししてあった靴.
なんと早くも足裏にマメが出来てしまった.
筒井町~古出来の往復と、東照宮から若宮まで歩いただけだが、急いで歩いたのがいけなかったのか.
足を気にしながら、若宮八幡社に8時30分に到着した.
その頃、東区の山車は先頭が大津橋を過ぎ、中村区の山車は洲崎神社の手前あたりだろうか.
まずは若宮で預かっていただいた脚立を受け取る.いつもは二段の脚立だが、この日ばかりは三段である.さすがに朝からこの脚立を持って歩くのも辛いので、前夜お願いして預かっていただいたのだ.
福禄寿車は既に庫から曳き出され境内の端に留め置かれていた.
これしきの事に既に少々感動してしまったのは、さすがに気が早いだろうか.
1輛きりしかない若宮の山車だから、いつもなら境内の真ん中にデンと置かれているのだけれど、この日ばかりは本当に端っこに小さくなっていた.
そりゃそうだろう、あとしばらくすれば8輛も境内に入ってくるのだから.
そんな福禄寿車を撮り、境内の様子を撮り、撮影場所を確認する.
大体の山車位置を確認し、境内のここら辺だろうという位置に脚立をセットする.