東区の5輛は外堀通(片端筋)を大津通、伊勢町通と次々に渡る.
建中寺からここまで一路西に進むだけだったが、名城小を過ぎて初めて呉服町通を南(左)に曲がった.上町(うわまち)である
この伊勢町、京町あたりは薬種関係の会社が多く、個人的にも思い入れの深いところだ.
この呉服町通と京町通の角に享保11年(1726)創業という老舗の中北薬品が今もある.
山車の通る呉服町通からは見えないが、中北薬品の北に少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)があり、薬祖神として少彦名命と大国主命が祀られている.
先年筒井町の湯取車が東照宮まで曳行した際も、この少彦名神社にからくりを奉納した.
上町に入っても相変わらず山車の進行速度は速く、山車の行列は京町通から更に上中通、魚ノ棚通、杉ノ町通、そして大きな桜通と上町を曳き渡る.
名古屋城の南、片端筋から広小路通まで、東は久屋町通から西の御園町通で囲まれた一角を俗に上町(うわまち)という.
南北に9分割、東西を11分割に碁盤割りして、この新しく整備された町域に清須より商店や職人が移り住み、名古屋独自の町人文化が発生した.
名古屋の山車文化もその一つだろう.
東照宮祭の山車9輛や若宮祭の一部の山車はこの上町が保有していた.
本町、七間町、長者町、玉屋町等々の歴史ある町名も、現在では中区丸の内、錦、栄と味気ない町名に統一されてしまったが、現在でも通りや交差点名にその名残を見つけることが出来る.
また、名古屋有数の繁華街「錦三(錦3丁目)」も上町の一角にある.