
話は再び東区に戻る。
建中寺前で5輛が揃い鹿子神車を先頭に西に向かった山車は、平田町の大きな交差点の手前で停止した。
交差するのは往時の下街道で現在は国道19号線となっている。熱田神宮の南を起点として恵那からは中山道に繋がって長野に達する。今も昔も往来の激しい道である。
この辺り片側5車線にもなっている広い国道19号線を出来町の3輛が一気に渡った。無論信号は途中で赤に変わってしまうので2、3輛目の河水車と王羲之車は国道を一時遮断しての通行だ。
同様に筒井町の神皇車と湯取車も次の信号で2輛続けて渡った。
平田町を過ぎると道は3車線の外堀通となり、700メートル余りで今度は国道41号線を横断する。
東片端の交差点だ.名古屋高速都心環状の高架と名古屋高速1号楠線が合流する東片端ジャンクションがあるから頭上は圧迫感がある。
ここから先の外堀通は2車線と少々狭くなる.山車は2車線分を占有して曳かれるため、一般車はしばらく通れない状態だ。
武平町通を過ぎると、右手に名古屋城の外堀に茂る木々が見えてくる。
このあたりの外堀通、道路の片側にのみ武家屋敷が建ち並んでいたので、江戸時代には片端筋と云った。
名古屋高速の高架で見苦しくなってしまったが、現在も道路の片側が堀になっていて往時を偲ぶことは出来る。
ただし外堀は見えても名古屋城の天守閣はこの辺りからは眺められない。山車と名古屋城のコラボはしばらく後のことになるのだ。
さらに5輛の山車は久屋橋(久屋大通)、大津橋(大津通)を過ぎ、外堀通りを西下する。筒井町の山車が大津橋を過ぎる頃、東方では中村3輛の山車が若宮大通に入り洲崎神社を通過中である。
この今回の若宮八幡社へのルートは名古屋まつりの往復でも通ったことのない道である。
午前7時55分 東片端西の鹿子神車他(H)
午前8時0分 平田町の交差点を渡る神皇車と後方の湯取車(H)
午前8時6分 東片端~飯田町間の河水車他(H)
午前8時12分 東片端の交差点を渡る鹿子神車他(B)
午前8時13分 東片端交差点の頭上は名古屋高速の高架(H)
午前8時17分 信号機と街路樹にも注意しなければならない(B)
午前8時27分 大津橋を通過する王羲之車と当時の名古屋市長(B)
午前8時30分 久屋橋交差点を通過する神皇車.左の木々は外堀(B)
午前8時31分 久屋橋交差点を通過する湯取車(B)