私は次の予定があるので、この建中寺前で東区の山車とはしばしお別れである.東区役所から平田町方面に小さくなっていく5輛の山車を見送った.
東区の山車には、このまま星氏とバナナ氏が同行するので、私が居なくなっても全く問題ない.
建中寺前から若宮八幡社までの詳細は次回以降に譲り、このあたりで中村区の3輛の様子を紹介することにする.
中村区の山車にはチョコ氏が同行し、詳細に写真を記録してくれているので、それを基に書くことにする.
山車が保管してある笹島小・中学校の校舎を一足先に出発した紅葉狩車は一旦町内に向かった.
続いて準備の整った二福神車が7時50分に市道江川線に曳き出された.
この紅葉狩車と二福神車が同居する山車保存庫だが、一風変わっていて学校の敷地の一角に設けられている.
この保存庫前は学校の玄関になっており、レンガが敷き詰められている.それゆえレンガを痛めないようにコンパネで養生してからでないと、山車を動かせない.
なかなか厄介な手順を踏まなければならないのだ.
ようやく曳き出された二福神車は市道江川線を一旦北上し、泥江町交差点でUターンして南下する.このように大回りをするのは、いつも利用する西側の道路が中央卸市場の中にあり、早朝は往来が激しくて山車の曳行に支障があるためである.
そして西柳町の交差点から錦通へ出て、錦橋手前で紅葉狩車が合流し二福神車の後に続いた.
2輛で堀川に沿って右岸道路(左岸の道路は木挽町通というが、右岸道路に名称は無いようである.)を南下する.なかなか複雑な経路である.
さらに錦橋から納屋橋へと南下した2輛の前に、内屋敷の唐子車が見えてきた.
保存庫の先に待ち受ける内屋敷の唐子車は、いつもの唐子車とはいささか趣が異る.
それもそのはず、見慣れた赤幕ではなく猩々緋と薄黄色の縦継ぎ幕で山車が飾られているのだ.
私の知識が足りないのだが、唐子車の歴史で過去にこのような縦継ぎ幕を使用していた時期があったのだろうか.
400年祭に合わせ幕を新調した唐子車、均整の取れた山車のプロポーションに案外似合うような気がする.