筒井町では湯取車が曳き出され、7時には筒井町商店街に姿を見せていた.
(この前後の筒井町の様子は私は実際には見ていない.だがバナナ氏が詳細に写真を撮っているので、あたかもその場にいたかのように思い描く事は出来る.以下はバナナ氏の写真を基に記す)
商店街を西に向かった湯取車は約10分後には建中寺総門が見えるところまでやってきた.
既に神皇車は総門前で東向きに待機しており、湯取車はそのまま神皇車の本陣まで進み、からくりを奉納した.
そして奉納が終わると神皇車、湯取車の順に方向転換をして、総門の前に2輛が南向きに並んで記念撮影となった.
総門は建中寺の創建時からある建造物で、慶安5年(1652)に造られたという名古屋市指定の文化財だ.
尾張徳川家菩提寺の総門を背景にしての記念撮影は、他地区では真似の出来ないのもの.開府400年を祝うに相応しい記念写真となるだろう.
両車の楫方を見ると普段の祭礼と少々違って見える.湯取車の楫方帯は白を基調にした紅白の布で、神皇車は赤を基調に紅白の布と、大山車まつりに向けて特別に用意されたものだった.
そして約10分間の記念撮影を終えると、神皇車が西に向きを変え曳き出され、建中寺公園脇に山車を止めたのは7時38分だった.
まもなく出来町の3輛がやってくるはずで、既に囃子も聞こえている.
そして出来町の山車3輛が到着し、待機する神皇車の前を過ぎて先頭の鹿子神車が停まった.出来町から歩いてきた私と星氏もここで筒井町を撮っていたバナナ氏と合流して3人となった.
ここは押さえておかなければならないポイントだから張り切って撮るが、気が付けば3人とも似たような位置で撮っている.
「出来町と筒井町の出会」を判りやすく双方の山車を入れて撮ろうと思ったら、必然的にそうなってしまう訳だが.気づいて私は少し東に引いて構えることにした.
双方挨拶の後、出来町3輛が先行し、その後に筒井町2輛の山車が続いて曳き出された.
ここで初めて5輛となって若宮八幡社を目指すことになる.