大山車まつり日記

第6回 筒井町から出来町へ

神皇車と湯取車の記念写真を撮影
6時22分 まだ山車の来ない建中寺総門前で(N)

話を建中寺公園に戻す.
嵐の前の静けさと言おうか、いや祭りの前の静けさ・・・・そうではなく.
まだ午前6時であるから、単に我々が早く着きすぎたから静かなのだろう.
そんな人影の少ない公園でしばらく談笑した後、3人で神皇車に挨拶に出向く.

神皇車で袢纏をお借りして星氏とバナナ氏が着用する.
袢纏を着ていたほうが撮影に際し都合がよいからだ.また山車の側にいても違和感がないのもよい.
ただ、着用するからには責任を伴うのは当然の事.

なぜ神皇車なのかは深い理由はない.事前に神皇車からお貸しすると話があったからで、他の町内から無かったので必然的にこうなっただけの事である.
なお、私とチョコ氏は二福神車の袢纏を着用したが、これは私の名古屋の山車祭りの原点が二福神車だったから.

出来町へ

ここから3人はバラバラになり、バナナ氏には筒井町の神皇車と湯取車の2輛をお任せした.

湯取車の出発から筒井町商店街を経て神皇車の本陣まで.
そして本陣前で2輛が並んで記念写真を撮るとの事前情報を得ていたので、これもすべてバナナ氏にお願いして、私と星氏は出来町西之切に向かう.

西之切鹿子神車の曳出しから建中寺までを星氏にお願いすることになっているので、関係者への挨拶と星氏を紹介した.
私は王羲之車と河水車を撮るため、さらに東に向かう.
少しのんびりしすぎたか、MAXスピードで歩くが、西之切から古出来はこんなに遠かったか?


6時55分 曳き出し直前の中之切河水車(N)

中之切は既に曳き出す準備が整っていたので、慌てて挨拶と情報収集.
幾人か『龍』の袢纏着ているので、聞けば住吉町のものだという.戦後河水車とともに譲り受けたのだろう.
この河水車は今回62年ぶりに若宮に里帰りとなるのだが、山車と共に袢纏も里帰りとは粋な計らい.

そうこうしているうちに東から王羲之車が中之切に向かってくるのが見えた.
駆け出しながら王羲之車を撮り、大松通り手前まで2輛を撮りながら歩くが、これは僅かな距離.
そして河水車、王羲之車の2輛は、大松通りを南下してすぐに西へ入り、明倫小を右手に見て車道の通りへ.東海高校北辺りで先着していた鹿子神車と合流し、ここで出来町天王祭の3輛が揃った.

出来町3輛と筒井町へ

鹿子神車を撮りながら歩いてきた星氏と再び合流して、ここから二人で撮る.
先頭から鹿子神車、河水車、王羲之車の順である.
この道は筒井町の山車が徳川園山車揃えの際に往復する道であり、秋の「なごやかまつり ひがし」で出来町の山車が帰路に通る道でもあるから珍しくはない.
ただ、出来町の山車が車道を南下するのはこれまで例がない.
東海高校を過ぎ、建中寺東の交差点を東に曲がると、建中寺の山門が見えて来た.

□写真集〜出来町各町内から建中寺へ

6時55分曳き出し前の中之切河水車(N)
中之切の一部の楫方が着用した旧住吉町の袢纏(N)
午前7時1分 西之切の記念撮影(H)
午前7時2分曳き出し間際の王羲之車(N)
午前7時26分 西之切と中之切+古出来町の出会(N)
午前7時31分東海高校付近の河水車と王羲之車(N)