大山車まつり日記

第4回 撮影計画

前記3名に私を加えた4名(随所に出てくる「我々」は主にこの4人を指す)で分担して大山車まつりを撮影することになったが、分担と云っても緻密なスケジュールやカメラ割など決めていない.
かつてない規模の山車揃と曳行であるから、実際現地でどうなるかわかったものではないし、がんじがらめに拘束してご本人たちが楽しめなくなっては申し訳ないからだ.
大凡の骨組みと「ここだけは撮って下され」とお願いしただけで、あとは臨機応変それぞれ楽しみながらというアバウトさである.
その詳細は追々紹介する.

さらに遊軍とビデオ

4名の他に吾一氏、同NEW氏KEN氏にも声を掛けた.
彼らには特段の任務は依頼せず遊軍として自由に撮ってもらったのだが、後日画像を確認すると我々の分担では時間の都合でやむなくカットした白川公園の緑区4輛や、名古屋城に入城する緑区4輛の様子などとともに、本町通りで我々が手薄だった箇所の隙間を埋めてくれていた.

写真撮影はこれで総員7名になるが、実はビデオの撮影も依頼していて、東海市のJun氏とMASA氏、そしてバナナ仙人氏のビデオカメラをAKI氏の大学後輩に託して3台で撮る算段.
Jun氏とMASA氏には前もって運行スケジュール表を渡しておいたが、事前に撮影地点の分担やカメラ割など綿密に打ち合わせして撮影に臨んでくれた.

その熱意は多くのDVDとなって後日私のもとに届いたが、私が見られなかった場所、知らなかったシーンなど大いに感動したのだった.
このDVDは私と同じように定点撮影したために、一部しか見られなかった3名にもダビングしてお渡しする事にした.
この「大山車まつり日記」でご覧いただく動画も両名のもので、編集してYouTube経由で利用させていただいた.

出発地の分担

そして基幹となる本隊の4人だが、8輛の山車を分担して町内を出発するところから若宮八幡社まで手分けして撮る.
中村区の3輛は交通アクセスも考慮してチョコ氏にお願いした.彼には笹島小の二福神車・紅葉狩車山車庫から唐子車(内屋敷)ととともに、堀川沿い~若宮大通を3輛と一緒に歩きながら若宮八幡社を目指す.

東区の5輛は星氏、バナナ氏の2名である.

※なお当日記の写真キャプションで(H)とあるのは星氏、以下同様に(B)バナナ氏、(C)チョコ氏、(N)nova、(G)吾一氏、(K)KEN氏、(Y)NEW氏である.
また、画像の著作権は撮影者にあり、私が同意を得て編集している.

私のこと

仲間だけ紹介して自分のことには触れないでおこうと思ったが、やっぱり簡単に自己紹介しておく。
知多半島は横須賀の生まれで現在は名古屋市在住。平成10年(1998)にウェブサイト『尾張の山車まつり』(当時は知多の山車祭り写真館)を開設。以後多くの人と出会いお付き合いさせていただいているが、これは私の宝で以後も大事にしていきたいと思っている。無論今回の大山車まつりもこの縁である。