東照宮祭〜中市場町 石橋(しゃっきょう)車

石橋車 東照宮御神事行化粧之図(明治21年塚本康満作)

初発は寛永7年(1630)京町との立合にて裲宜の警固を出す。
元禄十六年警固を廃する。
宝永元年(1704)石橋車に替る。

●人形

京都吉田平次郎の作、左右に岩と牡丹の作り物を飾り、大将の文殊大士は曲彖に座して、唐團扇を持つ、一人の童子と一疋の獅子が勢い戯る。
明和5年(1768)竹田籐吉が唐子人形と獅子を修復する。
麾振りは剣先烏帽子に素袍で左の手に幣を持っていたのを明和年代(1764-1772) に唐子に替る。

●大幕

文化15年(1818)無地の猩々緋に替る。「中市場」の文字は水谷訥斎の筆といわれる。
初発は紫地今織の土の模様の幕。

●水引幕

文化8年(1811)白羅紗地に山本梅逸の下絵で四神を金糸で縫いとったものに替る。
其の後は蜀江錦に替る。
初発は紫地今織に青海波の模様であった。

●改修

文化8年(1811)改造する。(空木建ちが替る、古車は愛知郡の某村へ売却した)
文化12年(1815)高欄より上部を仕替える。
安政5年(1858)高欄をはじめ、蝶の金物、其の他の彫刻を施して左右の岩も改正した。岩の彩色等は渡辺清の筆といわれる。

●囃子

此の車新造の時「新車」という曲を作り、之を宝永歌と唱えて琴三味線を入れて唄いしという。夫と同時に「文珠經」という極めてむつかしい手のついた囃子が出来て伝わっている。