東照宮祭〜上畠町 雷電(らいでん)車

「雷電車」 東照宮御神事行化粧之図(明治21年塚本康満作)

慶安3年(1650)順禮花擔の警固を出す。
承応元年(1652)雷電車を造る。
貞享3年(1686)10月、西ノ切を五條町、東ノ切を和泉町と立別れて町名を改める、此の年より三町順年に車番となる。

●人形

天井を用いず、雷神の人形を馬に乗せ、彩色の雲を周囲に配する雷神の周囲に八つの太鼓を輪にして飾り、傍らに天衣を以て稲妻をかたどる。雷神の身體は赤地金襴で装飾し、鬼面に赤頭を着せ太鼓の撥を両手に持つ。太鼓をドコドコと叩くにつれて雷は雲と倶にグレングレンと左右に斗る。
文政5年(1822)人形衣装替る。

●鬼面

林鹿の作。矢橋大和、或るいは原田右衛門の秘蔵品といわれる。

●馬面

稀の古物にて面の裏に
--- 天吉天廿四年と記し有り---
この面は浅野数馬の所持、その後徳川家に納り、夫を雷車へ貸下けになり御祭礼後返上する。
享保年中に祭町の町代への預けと替る。又、五條橋の上から降ったとの咄しがある、或いは大道寺玄馬のの所有で、その後御多門へ納めた馬面であるともいわれる。
嘉永元年(1848)に伊藤春岳が此の名器の馬面を模写して新面を彫刻したが、これが非常な名出来で其年より之を用いた、古面は宝物として社壇に納めた。

●幕

黒船切れ(裂れ)なりという。幕は紺地金襴にて立桶の今織。
此の車は古代の儘で水引幕を用いない、往古はどの祭車も金襴の幕であったが雷電車のみとなった。

●太鼓

車と同時に造る。音を出すために、桜町の興善寺に預け置きしてある(興善寺では元来此の寺の太鼓であるのを年々祭礼の節に同町へ貸し出すという咄しがある)
天保4年(1833)太鼓仕替る。

●装飾品

車体の上段桝型の金物には雨と雷の卦の算木を打ち幕の四隅にたれた紅白分の紐は日陰紐といって京都加茂別雷神社の式を象り押への金物には二葉葵を用いる。

●改修

享保18年(1733)八つ太鼓を改造。
安永5年(1766)山川墨湖が雲を彩色し直し、雷神が修復される。
文政4年(1821)車新調。空木建ちを仕替大振になる。雲の高欄を造る。人形、馬は下地の儘にて、其の他は全部替える。車は大きく、かなり車高が高くなった----- 当番五條町
天保4年(1833)幡野忠孚が雲を彩色し直す。
嘉永6年(1853)車を改造する。森高雅が雲を彩色し直す。