若宮祭〜末広町 黒船車(くろふね)

黒船車 山田鉦七氏撮影

寛文11年(1671)笠鉾を出す。
延宝元年船車を造る。
※車長持に幕を張り、其上に莚にて船の形を作り毛氈にて包み屋體の中にて打囃子をする。
延宝2年(1674)黒船車を造る。

●舞

此の黒船車はからくり人形を用いず最初は船歌と浄瑠璃節を唄う。
宝暦年代(1751-1764)より児童の能の舞を演ずるようになった。
安永7年(1778)子供に高砂、船弁慶を入れ、帷子装束見事に出来る。
文化、文政(1804-1830)の頃には祇園囃子を組入れ其他新踊りと稱へ三絃を加えて当世の舞踊を催す。

●舞囃子

猩々、春日龍神、船弁慶の三番の能楽で地囃子には下り端、神楽を用いる。帰りは三絃を加え三番叟シャギリの類を用い、明治20年(1887)頃より京都の祇園囃子を再び移して摺鉦七挺を用い至極賑やかな遊山船となった。

●大幕

最初緋純子であった。花色羅紗に大浪の金糸縫に替る。
文久3年(1863)仕替える。浪は山本梅逸の筆で其の肉筆は屏風として町内に蔵してあった。
天幕(舞台の天井は羽二重の地白に紅の鳳凰の染抜。渡辺清の下図。

●水引幕

白羅紗地に雲に鳳凰の金糸縫。渡辺清の下図。天保10年(1839)作。

●改修

明和9年(1772)に黒船車を新造する。
知多郡野間の船大工三太夫の手で一面が漆塗の船を新造した(旧車延宝2年作は美濃国上有知の相生町へ金五両で売却した)
文化8年(1811)諸色塗直し、高欄は此迄木地のままであったが黒塗りとなる。
天保12年(1841)を中心に諸道具が改修された。