若宮祭〜住吉町 河水(かすい)車

昭和10年 山田鉦七氏撮影

延宝4年(1676)産宮参車を造る---- 延宝2年説もある。
※上段に社壇を設け其前に神主、神子、乳母、小兒、丁稚の5人の人形を配置した古風な山車であった。産宮参とは乳母が小兒を抱いているが囃子の時は小兒を下に居置と小兒は手に持つ花を振って踊る。後の丁稚が守刀の袋を担ぎ大団扇で扇ぐ祭をいう。但しこの車の所作は小兒が花を持って踊る様はない。是れは神楽の鈴の舞を見物に来ているところを表しているとのことである。

※産宮参車の人形頭は作者不詳であるが稀代の名作というので社頭に納め祭り倉庫に安置してあったという。現在は住吉神社のご神体として祀られており大変貴重なものである。

宝暦11年(1761)能楽菊慈童車に替る。
※後に控える大きな官人は団扇を扇ぐ。唐子は笙を懐中より出してふく。慈童は菊の花を持って踊ると後ろの松の木が回り枝が前の方に出てくる。慈童は其の枝の枕をかけたりぶらさがったりする所作をする。
明和9年(1772)河水龍神車に替る。

●人形

大将に震旦国の大様を据へ一人の唐子と前に太鼓があって、其の太鼓の中から龍神が出て舞うからくりである。是は謡曲「河水」より取ったものである。
天保5年(1834)麾振り人形唐子に替る。これまではさふらひ烏帽子、素襖を着た人形であった。

●大幕

最初は雲龍の模様であった。
文政11年(1828) に猩々緋に怒涛の縫い潰しに替る。
此の下絵は張月樵の筆で之れを書くのに熊々遠州迄出張して大波を写した素晴らしい幕である。

●水引幕

最初は唐草模様の織物であった。
天保年中(1830-1844) に花色羅紗の群鶴の縫どりに替る。
其の下絵は森高雅の筆で縫は最も精巧なものと言われる。

●改修

文政11年(1828) に高欄、柱回りを紫檀で新調する。