東照宮祭〜下七間町 橋弁慶(はしべんけい)車

橋弁慶車 東照宮御神事行化粧之図(明治21年塚本康満作) 

御城下で最初に建造されたからくり人形山車で先車を務める。
下七間町、元和4年(1618)毛鎗十本、具足着十人、雪こかし警固四人出る。
元和5年(1919)西行桜の車に替る。
元和6年(1920)橋弁慶車に替る。

●寸法

此の車は他車に比べ重量も多く寸法も大きい。総高二丈二尺、間口一丈五寸、奥行一丈六尺五寸、楫棒二丈四尺。
綱長十丈あり(綱曳四十五人は無役の町から出す)

●人形

作者不詳。上段に五條橋を架け弁慶は鎧を着け坊主天窓に鉢巻して七つ道具を背負い大長刀を持つ牛若丸は太刀を抜いて欄干の上に立ちキリキリキリと舞ながら弁慶と戦いをする(初発は弁慶の持つ大長刀の上に牛若丸が飛び移り立ち回る仕掛けであったが藩主上覧の際牛若丸のからくりの糸が切れてから欄干の上で回転するだけになったという)。
麾振りは烏帽子素袍で舌を出し大きな幣を振る。九郎判官義経の假面は出目法眼の作物で義直公より拝領の品にて之を社壇に納めて二代目の牛若の頭を用いた。
戦災焼失前の弁慶の頭には鬼頭二三の銘があった。
牛若丸、弁慶、幣振りの人形頭が戦災焼失を免れた(東照宮蔵)。

●大幕

文化10年(1813)花色羅紗。初発は清須御城付の幕を借用し使用する。

●水引幕

寛永年中(1624-1644)藩主光友公より三ッ葉葵の御紋付御幕拝領。

●改修

天明5年(1785)に内輪から外輪になり輪掛が出来る。新に麾振り棚を設け幣を持つ素袍著の人形を置く。又橋の下に古金襴の引回しがたれてあった所に浪の彫物を造る。
文化10年(1813)橋を塗り直す。

●囃子

宝暦年中(1751-1764) 囃子に土拍子をうちならした。草笛に太鼓のみで大波小波と稱へ大太鼓は武田信玄の陣太鼓という。
此の車は人形囃子は無い。帰り囃子の雨降り囃子は有名。