出来町天王祭〜中之切「河水車」(かすいしゃ)

中之切には文政4年(1821)に尾張10代藩主徳川斉朝公よりお庭車を拝領したと伝えられる「石橋車」と名付けた山車がありました.

この石橋車は昭和20年5月の空襲で惜しくも焼失してしまい、現在の山車は昭和23年に旧住吉町(現中区栄3)から若宮祭の祭礼車「河水車」を譲り受けたものです.

高欄・柱周りに紫檀材を用い、優れた錺金具(かざりかなぐ)や塗りなど凝った装飾が特徴の山車です.

からくり人形は、上山に大将と2体の唐子で能楽の石橋に由来したものです.獅子頭をつけた唐子が首を上下に激しく振りながら踊り、中唐子が左右に激しく動いて松の木に吊した太鼓を打つものです.

これらの人形は河水車の人形(河水龍神のからくり)を昭和25年に中之切ゆかりの「石橋」に仕替えたものです.
また前棚の采振人形は二体保存されており、通常は戦災を免れた石橋車の童子人形が、名古屋まつり山車揃などには河水車の唐子人形と使い分けられています.

大幕は猩々緋の無地幕に中之切の町名を金糸で刺繍.水引幕は石橋車に使われていた水引幕を平成2年に復元した白羅紗に唐獅子と牡丹の金糸銀糸の刺繍です.

●旧住吉町河水車
延宝2年(1674)に住吉町が若宮祭の祭車として産宮参りの車を建造.
宝暦11年(1761)菊慈童車に替わる.(現西之切鹿子神車か)
明和9年(1772)河水龍神車に替わる.

出来町天王祭の詳細

河水車の詳細

若宮八幡社に奉納する河水車
本町通を曳行する河水車
東照宮に奉納する河水車